スペース寿司

とあるオタクの生活記録

それなりの人の目を惹くタイトルにする価値がない日記

いつまでもあの記事が一番上にいてもなあという気持ちで日記を書いている。

以前投稿していた場所で、一部作品を非公開にした。
もういいかなという気持ちである。
需要とかそういうものではなく、いい加減その概念で対象を見るのをやめようと思った次第だ。
もちろん今も推しなので、見ていて楽しい。
これからもいろんな推しが見たいので、より遠巻きになりたい気持ちだ。
どんどん高みへとのぼってほしい。

母親ヅラが話題になったが、ああいうとこあるよなオタク。
距離感というより、コンテンツを私物化したい的な欲みたいなものなのかなと思う。
母親ヅラではないけど、立ち位置的に似たような厄介ファンが私が通ってきたジャンルにもいた。主にオッサンオタクどもである。
私物化感覚で公式に近づいたり関わることで(そういうことができてしまうジャンル)ヒエラルキーの頂点に立ったつもりになって、自分=コンテンツみたいな思い違いして気持ちよくなってるっていうか。
大抵まわりを見下している。
公式に代わってファンにほどこしを与える立場だと思ってる。
なんかうまくいえないけどそんな感じ。
基本的に理屈っぽくて気持ちの悪い、人の話を聞かない人が多かった。

オタクは信仰がちょうどいいのである。
拝み崇めて、推し最高!と唱える。
それが幸せなのである。

やましい気持ちがあろうともそれはひっそりと妄想や創作で消化すればいい。
その消化したものは決して、自分の感情の塊という価値でしかなく、それ以上でもそれ以下でもないと肝に銘じよう。

 


さて。
最近の生活の話である。
正直ただ迎えるべき結末を粛々と待っているだけである。
気持ちの置き場というものが見当たらないまま、自分は自分の生活をしていることがとても不思議である。
落ち込み続けたり狼狽していてもよくない。
他人に当たってもよくない。
へらへら何かを楽しんでいたら、自分の中の第三者が心の無いヤツだと非難してくる。
何をしていても不正解ではないか。
しかし三つ目の意見に関しては「私は私の生活があって当たり前ではないのか?」という気持ちでどうにか相殺している。

あと年内に辞めたいと職場に意思を伝えておいた。

そんな感じです。