スペース寿司

とあるオタクの生活記録

「絵を描けないから文を書く人」が嫌いな人

よく見かけるんだけどやっぱりあんまり理解できない。
恐らく私が萌えを語るときに絵を描けないから文を書くタイプだからかもしれない。

絵を描くことが長らく好きだった人が何かとてもつもなく心揺さぶられる作品やキャラに出会ってファンアートを描いたり二次創作をする。
私から見たら趣味と趣味の合致という感じでそれはいいと思う。
だから、もともと小説が好きで見様見真似で書いていた(または本当に将来を見据えて書いていた)という人が同様のことをしていても、私は「いいな」と思う。

しかしそういう人たちによって私は否定されてしまうのかなとも思う。
小説が好きか嫌いかと言われると「よくわからない」が本音である。
漫画も小説もほどよく読んできたかな、程度だ。
二次創作におけるROM活でも、漫画も小説も読みたければ読むので偏りはあまりない。

「もともと小説が好きでもないくせに小説を書こうとする人が嫌い」
というのはどういう部分がお嫌いなのだろう。
文章が滅茶苦茶だからだろうか。(これは理由の代表格みたいによく見る)
それとも他の部分で憤っているのだろうか。
例えば、「こちらには文章に対するこれだけの敬意と蓄積があってこの活動をしているのに、軽いノリと能力で手を出してきてむかつく」というような。

まあ、それ言われちゃうと困るよねーみたいな。

こっちからすれば「好き」と「ずっとやってきたこと」の合致だったらなおのこときっといいよね~楽しいだろうな~くらいにしか思えないんだけど、そうでなきゃ許せないってのはどこから生み出された発想なんだろう。趣味の世界で。

そもそも「小説が好き」のジャッジが曖昧だな。
太宰も芥川も夏目も江戸川も村上も最近のベストセラーも一切掠っていない私は純粋な小説好きではないかもしれない。
強いて言うなら宮沢とラノベとライトなエッセイで育った身かもしれない。
あと最近宮部みゆきを初めて読みました。
(でも、ああいう人らにとっては何をどれだけ読めば「小説好き」の認定になるんだろう)


二次創作については、私は割と勢いで読んでしまうので、多少文法が破綻していようが萌えるもんは萌える。笑うものは笑うし泣くものは泣く。
むしろ「それを書き切った」ことに拍手を送りたくなる。
だって私は書き切ることにも苦労してるから。

 

「やってみた」の分類にいる人間はきっと沢山いると思う。
確かに二次創作(文字)はきっとそういう人が多い。私もそうだし。

ただ、やってみたら、結果が出る。
上手い下手や完成度がそこではっきり出て、そして好き嫌いのジャッジに晒されて、中には「そうか自分には努力も能力も不足しているのだ」とクソほど悩む私のような人間もいる。

だから、それを読む読まない、好む嫌うは自由だとしても、せめてその人の作品とキャラに向ける気持ちくらいは認めてくれよと勝手に思っている。
「消去法で文字を書くことを選んだ(推定)からてめーは許せない」までいったらそこには邪推もあるし、正直意見としては超乱暴だと思うよ。
動機にまであれこれ言いだしたらキリなくないか?
まあ思ってるだけなら別にいいんだけど。
面と向かって言われたわけでもないし、気にしてもしょうがないんだろうけどさ。
「書き手」の世界ってそんなカーストもあるんだなとますますぞっとするだけでな。


でも、「小説を読むことが好きで、書くのが好きで、だからこそ二次創作も好き!楽しい!」って人にはどんどん書いてほしい。
そういう人はやっぱりよいものを書くと思う。
ROMの私はきっと大喜びでそれを読むかもしれない。読まないかもしれない。
そこは、めぐり合わせですよね。

 

書く側になったときに能力と読書量の差に卑屈になりまくっていて、ROMとなった途端この余裕とはいかに、と自分でも思うが、そろそろこの辺りを擦り合わせないと書く側の私も破綻しそうだなと思った。