スペース寿司

とあるオタクの生活記録

10/15

自分に何ができて、どこまでできて、どこをどう「動かす」(便宜的な表現である)ことで、どう「作用」するかを知っているか。

小説を書くのがうまい人は文字における上記のことを把握しているんだと思う。
何をどう書けば頭の中の情景を動かせるかを把握しているし、頭の中でもっと自由に、思考を文字に乗せて動かしているんだと思う。
その上で、試行錯誤しているんだと思う。

私にもわずかに上記に該当するスキルがある。もちろん文字ではない。
とは言ってもめちゃくちゃうまいわけではない。何もしてこなかった人より多少できる程度だと思う。積極的に使う気はない。というか使う場が一般生活ではあんまりない。

その世界にはここまでできれば正解、という一般的な、いわゆる数値めいたものや、資格のようなものが存在しない。
基本的な部分がそこそこあれば、上乗せされたものに関してはあくまで受け取った側の感性に委ねられて、決まっていく。
そういう点では文字と同じだなと思う。
だから頭の半分ではなんか分かるのだ。色々。
もやっとした部分なんか織り込み済みなのだ。一応は。

そこでも私は底辺だったし、悔しい思いをたくさんした。それでも前向きに楽しい!と続けられていた日もあった。毎日が勉強だと固く信じていた時期もあった。泣いて泣いて泣き続けたこともあった。
けれど、ついに情熱というか、向上心というか、いろいろなものが途切れた。私はもうその世界を離れつつある。ひとつの人生を手放すむなしさもあるが、これ以上そのスキルについて、卑下することも苦しむこともないんだと思うとほっとしている。
そのあたりで培った劣等感を思い出すから二次創作も辛いのかなとか思うけど、これは人前でジャッジされるものを発信している以上付きまとうものなんだろうか。
じゃあ向いてないのかもしれない。
あー、必要とされてみたい。

色々こういうのを整理して書けばいいんだけどそれもなんか面倒くさいんで、このわかりにくい書きなぐりから手直しする気はない。


友人(オタク・ROM・そこまで腐っていないライトな二次創作ユーザー)が同人女の感情シリーズを初めて読んだとのことで少し話題にあがった。
その中で、
「あのシリーズの主人公はなんやかんや書けててうらやましい。あれ読んでるとわかりみと同時に卑屈がやばい(要約)」
とこぼしてしまったのだが
「あれは漫画だから最後昇華させなきゃいけないんだよ。それを自分にあてはめる必要ないしこんな時代に生きてるだけ偉いよ」
とすらっと返ってきて、なんだかとてつもなく申し訳ない気分になって、少しだけ楽になった。


まだ何もできていない。書かなきゃいけない。
実は先日より原稿をしなくてはいけない環境にいる。
だけど進まない。どう膨らませていいのかわからない文字だけ数行メモ帳に書き残されてる。
今本当によくないんだろうな。気持ちしかないや。