スペース寿司

とあるオタクの生活記録

好きとか嫌いとか最初に言い出したヤツ

そもそもお気持ちっていう概念をよく理解していない。

バズった例の改悪二次創作お気持ちの記事を読んでしまった。

分かるのである。
特にキャラの見た目と名前だけ借りてそこに好みを当てはめているだけの二次創作云々という、あのお気持ちの部分。
こういった傾向は往々にしてよく見られる。
最近だと「解釈違い」というとても便利な一言で片づけられやすいが、ただこれにも色々種類はあるとは思っている。

私が一番読んでてしんどくなる「解釈違い」は
「その性格、その関係性を求めるならばこの作品のこの二人ではなく、あの作品のあの二人の二次創作が合ってるのでは…?」
と思わせるものである。
その空気を描きたいなら原作からその方向性で推してくれてる作品あるよ?どう?と思わず下世話おばさんしたくなるわけであるが、当然そんなこと言える根性などあるわけなく、黙っている。
そして見なかったことにする。
この作者にとってはこの二人をその概念で描くことに意味があったんだろうと思うことにするのだ。あとは知らん。

そこで終わればよいけれど、それがジャンル内で人気が出て「この二人はこの解釈が王道」となってしまったときのヤバさたるや。
書き手ならまだ自分で自分の解釈書いてこ…ってなるかもしれないけど、ROM専なら辛くないか?
王道解釈って結局お仲間と会話してても話題に出やすいし。
その話題になった途端へらへら苦笑しながら触れないようにスルーしてストレス溜めたりね。

好きな二人のはずなのに、みんな自分と違う二人が見えてる世界線自分が異質なんじゃないかという疎外感。
だからこそ投稿者の気持ちも分かる。
マジョリティになった二次創作の解釈と自分の解釈が合ってこなくて、それを拗らせた結果愛してたはずの原作まで忌避してしまう現象。
私にも近い経験があるからである。

文面見ていて、投稿主は寂しくて悲しくて辛くて吐き出す場所が欲しかったんだなというのがひしひし伝わってくる。
こんなに思うほどにAとBが好きだったんだろう。
その二人を通して描いた理想があったんだと思う。誰かと共有したかったんだと思う。
好きだからこそショックも深いし、言い方も強くなってしまう。
ただ、「改悪」という単語に食らいついて、大人の顔して「二次創作とはそもそも改悪」とかいう正論を語るコメント欄は地獄である。
投稿者にとっては傷口に塩だな…としか思えない。その話、今する?
そこはそっとしておいてやればいいのに。

少なくとも私はこの話がどこの界隈かなんて皆目見当もつかないしこれ以上深追いする勇気は無い。
ただ、分かる人には分かるようでコメント欄に「あなたと同じ界隈です」という一文から始まる投稿者への苦言が多く見えるのが辛い。
どうやらその元作品のほうでもひと悶着あったらしく、そんなに影響力と人気のあるジャンルであり、そこまで多くの人が読んだ二次創作だったんだな…というのはよくわかった。
ましてや元作品側に焼きマシュが届けられたとかいう話題まで持ち出して、犯人を投稿者ではと邪推して書き込む人間までいた。
それはそこで言うことではないだろう。


私自身、解釈や地雷というものに引っかかりが多い人間である。
だからこそ常に全ては「好き嫌い」の問題ということを忘れないでおこうとは思っている。
いろんな理由や理屈で武装しようと、結局これは好きだった。これは嫌いだった。それだけだ。
「物語の筋がしっかりしていた」とか「原作に基づいたキャラ解釈」云々とか言う言い分だって正直そのうちのひとつだ。
突き詰めていけば、好みの問題なのである。
誰かの好きは誰かの嫌い。その逆も然りなのだと、しれっと受け流す力も必要なのかもしれない。
ただ、あそこのコメント欄にいる人たちの大半は「元作品が好き」「私の好きな作品を叩かれた」という気持ちが強いんだろうなという印象がどうしても拭えないので、その人たちに「受け流せ」「所詮はみな等しく二次創作(改悪)」と言われてもな…とは思う。

あと、その解釈が気に入らねーならてめーの解釈(作品)で殴れっていうゴリラマッチョは嫌いだよ。
人には人の生活環境や条件があるから書く書かないを土俵にされちゃ正直困る。

この人がまた、これほどまでに苦しむくらい愛していた原作に戻れる日は来るのだろうか。
多分、二次創作がどうなっても、原作はきっと誰も何も裏切っていないと思うから。
でも同じファンの人にまでああやって自分が苦言の対象にされたら、私だったらなおさら戻るの辛いかな…
こういった問題でなくても「メンタルやばくなるほど好きだったからこそ、あるショックを受けたあと、昔ほどの情熱を以て接することができなくなった」という経験がある人間としては、この投稿主にまた幸せな出会いがあることを祈るしかない。