スペース寿司

とあるオタクの生活記録

書きたいことはあるが書きたい話があるわけじゃない

話を作るのが苦手である。

「即興ですが…」「短いですが…」と5000文字超の、下手すると1万字超えの作品をさらっと上げていく人達がいる。
一体脳みそがどうなっているのか教えてもらいたい。

よくそんな書くことあるな。
(っていうか5000文字越えても短いって思うんだふーん)

私の率直な感想である。悪意でもなくなんでもなくそう思うのだ。
恐らく私がこういった人と同じネタで何かを書こうとしたとき、この人の3倍の時間は最低限必要だし、その時間を費やしても、生み出せる文字数はその人の1/3である。
間違いなく。

どうしたらそんなに書けるのか。
ある時、果敢にも聞いてみたことがあったが、どの相手も大体答えは似通っており、要約すると

「書きたいことを書いていたらここまで書いていた」

なのである。
文字書きのよくある意見あるあるである。

当然私は「書きたいことを書いていてもそんなに書けない」わけだし、この回答は非常に不親切だなと感じてしまうわけだが、冷静に考えれば向こうにとってはそれが自然に出てきた答えであろうし(きっと本当にそれ以外言いようがないんだろう)、不親切と思っているのはこちら側だけの問題なので諸々の不満はぐっとこらえる。

自然に「できてしまう」人間にハウツーを聞くのは無謀に近い。
なぜならば彼らは「どうしてできないかが分からない」からだ。
教える立場にでもいない限り、無理だと思う。

それはともかく、長い話が書ける人と自分を比較したときになんとなく感じるのは「書きたい話がある」「書きたいことがある」の違い。

私は断然後者で、「こういう雰囲気」「こういうシチュエーション」「こういう会話」というパーツがまず思い浮かび、そこから連想して、うっすいストーリーを練るタイプである。
パーツが最優先のため、本当にうっすいストーリーとなる。

しかし「書きたい話がある」人は違う。
明確に「推しにこういった経緯を辿ってもらい、こういう感情を抱いてもらい、最終的にはこうなってもらいたい」が確定している。
一本筋の通った太い線に、「こういう雰囲気」「こういうシチュエーション」「こういう会話」がくっついて、より太い線となっていく。
だからこそ、エピソードとストーリーが両立した、骨太な作品が完成する。

憧れる。
いや本気で憧れている。
私だってそういうの書きたい。
どうしたらそういうの書けるようになるの。(堂々巡り)

 

こんなことを言うと
物語を作るのも才能のうち。
貴方には才能が無いので創作は諦めなさい。
とか上から引き際を示そうとするアドバイザーっぽいのがいたりしますよね。黙れボケ

でも、あながち全部間違っているわけではないとも思う。
考えれば考えるほど、これは才能なのかもしれないとも思う。
悔しいがそれは認めざるをえない。
推しを愛し、「このようなストーリーの中で推しに生きてほしい」と願い、形にする力。
それは確実に才能だ。
だって、私には無いのだ。そういったものが。
無い人間とある人間がいるってことは、そういうことだ。


しかし私だって何かを書きたいのだ。
どうしても、どうひっくり返っても結局
「書きたいことがある」
となってしまうのは悲しくて悔しいが、それでも、私は推しの姿を書きたいのだ。
出来る限り、自分の一番納得のいく表現と技術で、推しの幸せを書きたいのだ。

 

そうなったら、結局やることって二つくらいしかない。
「やれるように努力する」か「できることを突き詰めていく」かなのだ。
私は後者を選ぶことにする。
前者を習得するのはきっと難しいし、「またイベントに出る」という今の状況と自分の能力値を鑑みる限り、そちらのほうが確実だからだ。
もちろん話をつくることも諦めきってはいないが。

私に書けるものなんてほんの僅かで、書ける人間のほうが当然優れたものを書く。
私に向けられた需要なんて無いのかもしれないと思うたびにむなしくなる。
しかし二次創作とはそもそもどういったものかを思い出して気を取り直す。
時々反応をもらえて、楽しんでもらえた、受け入れてもらえたのだと安心して勇気をもらう。
すると、ちょっとだけ前向きに書けるようになったりする。
(ただし「書きたいことがある」状況は変わらない)
これの繰り返しで、なんとかまだやっている。

まとまりがなくなってきた。
構成力がないってこういうことだぞ。
とりあえず本のネタを引き続き考えていこう。
考えていくうちに、ストーリーが思いつくかもしれないし。

次回へ続く。