以降は家族の死についての記載です。
父が亡くなったので帰省していた。
3日の朝方に連絡が入り、始発で移動しての4泊5日。
そして諸々を一段落させ今東京に戻っている。
実質的な老衰であった。
人の死はめちゃくちゃあっけない。そして詰め込まれるように金の話をされるのでぼーっとしてるとやばいと学習した。
細かな行政的な手続は母が自分でやるからと言い張ったのであまり手伝いはしていないが、今後の香典返しなどの雑多かつオンラインでできそうなものの手配は私がやる予定だ。
この期間、私はそれなりに元気であった。
取り乱すことなく、割とTwitterなんかも覗いていたのでたぶん元気だったんだと思う。
母の代わりに動かねばという意識もあったと思う。物理的にも精神的にもである。
そんな母であるが、以前のように私に怒鳴り散らすということはなく、比較的落ちついていた、と見せかけてやはり私がいることで精神的な支えを得ていたなという感覚が否めない。
そういうのわかってるから、母がなんかわけわかんないことしてても注意したり、口を挟むのを極力控えた。好きなようにさせた。
大丈夫かな〜〜みたいなところがあるけど、深く踏み込まないようにしてる。
あくまでさらっと、心配したり、気をつけてねと伝えたり、そういう親子の会話してる感じ。
ただどう考えてもランナーズハイじゃないかなあれは。
そして今、とてもぼんやりしている。
実感あるんだかないんだかわからないが、葬儀社で安置されている父を最初に見た瞬間のあの感じと、棺桶の中の父の顔はしっかり思い出せる。
そして猛烈に疲弊している。
寝ても寝ても疲れが取れない。上咽頭が荒れている。
正直、父や家族への理性的な感情や思考はさておき、個人の感情としてはすごくひとりになりたい。