スペース寿司

とあるオタクの生活記録

成仏

酒を飲んだ翌日にやる気など出るわけもなくただ洗濯をして過ごしている。

ネットフリックスを見ながら何か書けないかと思っていたがお察しである。
ネトフリ、せっかくなんで友人から薦められた「水曜どうでしょう」を見ている。

水どうと私には因縁がある。
因縁というか私が一方的に恨みつらみを募らせてこじらせていただけなのであるが、私は令和4年の今日まで、「水どう」を敬遠していた。

理由については、別途で敬遠していたものと理由が同様であるが、
「当時大嫌いなヤツが水どうをめちゃくちゃ推してたから」である。

以前も話題に出しているが、嫌いだったその男は
・所謂商業演劇を妄信し
・自分は芸術を理解しているかのようなそぶりを見せることに執心し
・当時勢いを増していた.5系を嫌悪しており
・暑苦しく持論を語ることには熱心だがそれとは違う意見を持つ他者には排他的であり
・とにかくうざかった

 

そいつは.5のみならず、「金にならない小劇場」すら忌み嫌っており、当時私が関わったり、好きだった劇団すら小ばかにしていた。
当時私は舞台にも出ていたし、それとは別に.5が大好きだったし、.5に出ている俳優を追ったり、演出家を追う形で、舞台を小劇場から商業問わず見るようになっていた。舞台貧乏みたいなとこあった。
あの頃おそらく、一番フットワークが軽く、ある意味目が肥えていたと思う。

そんな私に
「スペース寿司くんの言うところの.5良さを僕らが納得いくように説明してみなよ」
と、どうせ何言っても納得する気ねえくせに煽りつつ、回答するとすべて頭ごなしに否定してきて、野田秀樹を引き合いに出してくるので、本気で野田秀樹ごと嫌いになった。
ていうか同年代かそのへんだったはずなのに人の名前に「くん」付けてくるとこ含めてクサすぎて無理である。


そんな男が同時ニヤニヤと推していたのが水どうである。
ついでに言うとこいつが取り巻いていた業界かぶれのオッサンが別途おり、そいつも男と同様のクソゴミカス業界人かぶれマインドをしており、そして水どうが好きだったらしかった。

当時私は水どうの存在をあまり知らず、有名どころのネタもわからず、視聴環境もなかったため、「パイ食わねえか」と言われたところで何ひとつピンとこないわけで、何より口だけえらそうでドブ声でしか芝居できないようなデュフり男のモノマネが面白いはずもなく、そのテンションのまま繰り返されるネタに辟易した結果、水どうは私の中で封印事項となった。

大泉洋もとんだトバッチリである。

悔しいのは私はあの頃若干の視野狭窄で、この人たちがいないと自分が損をすると思っていた。(交友関係的な意味で)
だからこそ、彼らに裏でバカにされたり、必死で録った音声を「実験」と称してめちゃくちゃにされたり、それこそよくわからない「業界の掟」とやらを挙げられて妙な説教をされても耐えていることがあった。

あの人らは、結局「今」進もうとしているものには興味なんて無く、「現時点で」結果を出している対象をチヤホヤすることで「知っている自分」「理解している自分」を演出したいだけだったのだ。

今であれば、すべてはちっぽけだったと思うし、あとおまえの好きな野田秀樹も、大泉洋も小さな演劇の集まりからはじまったんだよと言えるし、なんならあの頃おまえがバカにしてた.5は今やひとつのカルチャーで、小劇団だって、商業通り越して今や飛ぶ鳥を落とす勢いであらゆるメディアに進出している事例がいくつもあるぞと言える。

結局、その後そのクソ男たちから芝居と人格をボコボコに否定され、私は彼らと縁を切った。色々疲れてしまい、舞台などへの感情も薄れ、なんとなく働いた時期が挟まったはずであるが、厳密なところは思い出せない。

私は好きなものを好きでいてよかったのだ。
もっとずっと好きでいたかったし、あいつらに負けてそういう感情をゆがめる必要はなかった。

.5も小劇場ももっとずっと見たかった。
お金もなくて、環境の変化などもあって離れたということもあったが、ずっとあの界隈で好きなものを見ていきたかった。
続けていられれば、もっと楽しかったろうにと、今、たまに後悔してしまう。

そして時を経て今、水どうを見ている。

テレビから流れる軽妙なトークとテンションを楽しく見ながら、こんな恨みつらみをブログに書き連ねている。
成仏させよう。
今日で成仏させよう。

去年、野田秀樹を克服した。

 

spacesushi.hatenablog.com


上記記事、今見たら名前伏せてたのね。もうこの際バラしておこう。

そして今年、私は水どうを克服した。

ゆるくひろく楽しんでおきたい。
.5も以前よりは見ている。相変わらず金はないけど。

最近だと、これYoutubeとかに言えることだと思う。
「見ないよ? 所詮素人のつくったものはプロには劣るから」
とか言われるたびになんかよくわからないんだけど、じゃあどこからがプロの作品になるんですか?

プロでやってる役者・アイドルが出演したらプロの動画ですか?
実際に現場でも撮影・編集してるクリエイターが関わったらプロの動画ですか?
名前伏せているだけで実は有名な歌手が歌ってみた動画をあげたらどうですか?
プロ=いいもの なんですか?
じゃあプロの始まりってどこからですか?

私が、「個人の『よい・悪い』は好き嫌いでしかない」って考えてるのは、上記の経験が大きく関係してるんだろうな。

ていうか、合わないならそこまででいいし、楽しめないより、楽しめる人生のほうがいいと思うんで。

一通り書いたわ。もう忘れます。