スペース寿司

とあるオタクの生活記録

真贋

声の演技や芝居について負け組だからこそわかるのであるが、成功にルールなど存在しない。

 

色々ある。

実力があった、イメージが合った、容姿が良かった、へたくそだけどたまたま頭に浮かんだ(ガチ)、その場で笑いを取りまくった(経験談)。

 

それらを総じて一言で言うのであればやはり「運」である。一言で言うには雑。でも真理。

 

芝居論、は宗派みたいなとこもある。

一番有名なのはすたにすなんちゃら(検索避けです。各自ぐぐってください)だけど、それを下敷きにして恐ろしいほど派生がある。

今も名前も知らんメソッドが増えてる。

でもなんちゃらメソッドやってうまくなるなら今頃全人類演劇賞総ナメである。

 

話が逸れた。

 

一つどころにいた人ほどその傾向は強い。

昔気質の人とかね。

そういう人らはそういう人の成功ルールがあり、堅固だったりする。

悪いことではなく、そういうものが集まって結果的にカラーになるのが、劇団系だと思う。

 

でもそういうスタンスがすべて「正」で、それを守れば「上手くなれる」かというと全然そうでもないのは、よく、なんの中身もないのに、芝居論を人を見下す道具にしてる雑魚を見ていればよくわかる。

そういう人に限って持論がふわーーーっとしてて暑苦しくてうざくて排他的で攻撃的。 

俺芝居わかってるっす!好きっす!情熱見てください!!俺かっこいいっしょ!わかんねーやつはクソwwwwwwつって釘バット振りかざしてくるやつ。

 

ひとつのルールを語って成立するのはそれだけの説得力があるからじゃなかろーか。

経歴と実際の力量が伴ってはじめて説得力が生まれるし、それにしがみついてるだけの人は「うまくったつもり」の人だ。

ああいう世界は日々勉強だよ。

以上、私が排他的な芝居雑魚を忌避する理由。

 

正直経験積めばある程度の人はある程度まで成長する。

私もその部類である。

現場に結び付けられなかったけど、現場に近いところで勉強させてもらっていたからだ。

さらにどちらかというと色んな空気を見てきた。

唯一、絶対的な、これ!ってコツを出すとしたら

「そのディレクターの指示と要求に応えられるか」

なんだけど、それができてたら苦労しないし、これの解決は結局、上記の「運」につながる。ので、もやもやしたままだ。

 

お芝居、てゆーか声を、またやりたいのかな、私は。あんだけ痛い目みたのになー。

もう年齢的にかなりきつい。

でもこのまま低所得で死ぬならそれはそれで、なんか、戻りたいところに戻るっていう選び方もある。

いっときの迷走であるのだろうか。

 

とりあえずお金出してワークショップに行く余裕をつくろうとしてる。

飽きなければ実行する。かもしれん。