スペース寿司

とあるオタクの生活記録

一家言って書いてなんと読む

一家言、正確には「いっかげん」と読むそうだ。

いちがこん、とかいっかごん、とか音でしか聞いたことのない言葉だったのでずっと勘違いしていた。

 

例の音声SNSアプリであるが、実は音声を投稿するようになった。

台本自作せずに読むだけでいいの楽だな、というとんでもない理由が含まれている。

やはり二次創作ホモ文章より自分の音声のほうが提出することに抵抗がない。外見を明かす必要もない。本気で楽。

反応はほぼない。当然である。

無名ということもあるし、やはり視聴者側の支持があって然りなところもある(投稿者にはランクが割り振られており、支持が増えるとランクが上がる。ランクが上=できる人 みたいな先入観もあるので低いとスルーされがち。二次創作の文字数みたいですね!)ので、コミュニティとかコミュニケーションがかなり要となる。

 

音声投稿以外にフリートーク配信(要するにただ喋る)ができるのだが、完全に内輪の巣窟になっているところが目立った。

仲間外れ感をこんなところでもおぼえる寂しさよ。しかしそうでないと育てない段階なのだろう。

あの寒々しい内輪ノリコミュニティがいつしかあのアプリを支える一大派閥となるかもしれん。

 

中にはこいつ一日中なんか配信してんなという人もいる。プロフィールが案の定ナルシストである。おまえ寂しいんか。

ただ、配信を繰り返さないと埋もれて忘れていかれるよね…というシビアな会話を、潜り込んだどこぞの配信で小耳に挟んだりもしたので、そういうことかもしれん。やはり寂しいんか。しょっぱい世界である。

 

だけど、あそこにいる人はみんな芝居や声を出すことに敷居が低くてそれだけはマジですごい。

 

一度も絡んだことのない人間と会話したり、芝居をしようとする心意気(いわゆる野良同士プレイの朗読やフリートークがよく行われている)、すごすぎない?鋼のメンタルしてやがるよ。

一緒にやりませんか?って、ほぼ絡みも無ければ私の芝居も声も聞いたことないのに声をかけられた時はまじで驚いた。

私だったら声質と芝居の練度を見て色んなこと決めちゃうよ。申し訳ないけど。

芝居についてもへこたれていた私はそれを見て少し自分を恥じた。

彼らは少なくとも、あの空間と、声を出すことを純粋に楽しんでいるのだ。

 

あの空間、己の世界を保ちたい人、認められたい人寂しいから誰かと話したい人、ガチ病みしてる人、ファンを獲得したい人、きっと色んな人がいる。

 

ガチガチで本気で声優に「なりたい」人はあそこに時間と神経割くより自主練したりしてんじゃないかという正論。

 

ある意味、今現実世界で悩める人のフロンティアになってはいるのではなかろうか。

私は幸か不幸か、その感覚はまだ少し怖い。

ゆえに、立ち位置が見いだせないでいる。