スペース寿司

とあるオタクの生活記録

大は小を兼ねると思う

描写についての色々を見る機会に恵まれた。

正直できない側からすれば少なからずできることは総じてすごいことだと思うのと、単純に余計なことを書きすぎてしまうのであれば書くだけ書いてあとは削ればいい話なので、やはり書けるに越したことはないのではないでしょうか。
その場でぶわーっと描写が浮かんで書き起こせるのはやっぱり生まれ持ったセンスとそれまで見てきたものをどれだけ無意識にでも蓄積してきたか、そして何よりどれだけ書いてきたかというあらわれだし、深く考えずにできる、意識したことないっていうのは要するに意識しなくてもできる→できてるってことなんだと思うんですが。

そんな交換日記です。

声時代もよく「やりすぎるくらいがちょうどいい」と言われていた。
現場においてやりすぎる人が『削る』のと、足りない人が『足す』作業なら圧倒的に前者のがリテイクが少なく済む。よって前者が重宝される。
きっと文章も同じ。
やりすぎるくらいに書けるほうが絶対得。これは全力で言える。

できるようになりたい。じゃあどうすればいいか。やるしかない。
脳筋乙であるがやるしかないのである。
場数を踏んで、描写をするという意識をしながら描写するしかない。

過去の自分の話に描写がどれくらいあるか見てみた。
情景描写、私の限界、3~5行くらいだと思う。
ごくまれに3行くらい書いてまたちょっと別のこと2行書いてまた2行書いた、みたいなことあったらものすごい地の文頑張ったような気分になってる。
ていうかそもそも私の文章、冷静に見てるとあんまり風景とか情景とか書いてない気がしてきた。
もしやこれが観念的で情景が見えない文章ってやつか。

 


さっきまで床で寝そべりながらだらだらしていた。今日も疲れた。
疲れてると購入済みのものダブって買ってしまいがち。
今冷蔵庫に納豆3パックとカットキャベツが2つずつ入ってます。