スペース寿司

とあるオタクの生活記録

後半で力尽きるブログ 後編

書くぞとか言いながら、不要になったオタクグッズを売ってきた。部屋の整理も兼ねている。
押入れが許容量の限界になりかけていた。
幅を取っていたフィギュアなどをまとめて売った。1万近くなった。
メルカリに出したほうが高く売れそうではあるが、まとめてさらっと引き取ってくれるショップのほうが精神的に楽なのである。


ほぼ交換日記。 

前編は以下

spacesushi.hatenablog.com

 

言葉足らずな部分があるので誤解を招いていたようだった。
だから結局この程度の文章力なんですよ。許してほしい。

まず、言い訳をすると、私の中では「面白い」という概念が非常にゆるく、また「面白い」=「好き」という方程式がある。
面白いと感じれば好きになる。
そして私の面白いは「笑える」という意味だけではなくて要するに「心動いた」の要素が一番重要なので、今後は「心動いた」と言うべきかもしれない。言葉を大事にしてあらためたい。または「いとおかし」か。
内訳は色々ある。笑った、泣いた、すごくいいと思った、シーンが強烈に記憶に焼き付いた、とにかくもういろいろ。

 
夢女をやってる友人と「どんな二次創作が好きか」という話になったとき、「読んでて最高にほっこりした同人誌が最終的に手元に残るよね……」という結論に至った。
なので私たちの究極は「ほっこり」なのかもしれない。
ふたりとも幸せになっている話が好きだ。でも結果失恋ネタになった本も残ったりする。もうよくわからない。
馬鹿は考えないほうがいい。
あと、結局そういのって最後は個人の好み基準だっていうのは頭ではわかっている。

一次創作だってこの世の二次創作、という発想はすごく新鮮でした。
確かにその通りだ。
自然災害を「神の怒り」って解釈して色々伝説をつくりあげた古代の人々はみな等しく二次創作が上手だったのかなとか思ったら微笑ましくなった。
あと、物語の型はシェークスピアにあるっていうのはよく聞く話なのでこの世の創作はシェークスピア派生のパロディ二次創作、って考え方もできる。
聖書や仏教のなんかの法典も、もしかすると二次創作。(宗教的な議論を呼ぶための発言ではありません)
アンデルセンやグリムとかバチバチの伝承の二次創作。

そうなると何がオリジナルであるか?って問題になるのでもしかするとすべては「水」の二次創作かもしれないな…と思った。
でも水もなにかの二次創作だったらどうしよう。

と思ったところで、小学生の頃通っていた塾で同じクラスだった男子が
「この世界は大きな箱で、とりあえず材料だけ流し込んで、あとはどうなるかっていうのを何人もの神様が上から観察してるって想像をしてる」
みたいなことを言ってたなあと漠然と思い出した。
私はその男子のことをいまだに尊敬している。

 

便宜上「一次」「二次」と呼んで、そういう括りで考えているからこそ安定する考え方っていうのがあり、それをばらして考えていくと急に色々と深くなっていくし個人の考え方が反映されていく。
これ以上は私の限界である。

しかし本当にオチをつけるのが苦手だ。
下手な考えは休むに似たりだなーと気づいた瞬間、頭が悪いので結局かわいい推しカプが見たいなって急に素になった。
無駄な理屈が長い。私の悪いところだ。


私の推し、本当に最高に宇宙イチかわいい。

今度こそ書く。もう14:30だ。