スペース寿司

とあるオタクの生活記録

ノルマ回収

意地でも文を打つ。
一日一回更新するって決めてるから。

tniconico.hatenablog.com
この記事を読みました。

最近書けていないけど、圧倒的に私は一人称書きである。ほぼほぼ一人称で書いてる。
神の視点(俯瞰)も書いたことはあるが調子がよくないと書けない。

一人称の楽しさって、伝わりにくい選手権的な理由を挙げると、敢えて特定の単語や感情をそのキャラが「使いそうな」言葉に書き換えて書けることみたいなとこある。
●●を△△って言う推しかわいくない?みたいな主張をそこで行っている。
伝わった試しはないと思うので本当に自分の中だけの問題。

あとこれはずるい考え方であるが、一人称は名称・情報等への知識や感情を表す語彙が少ない状態を表現でカバーできるという強みがある。と勝手に思っている。
もちろんこれは語彙が豊富な賢いキャラの一人称を書くときは全く通用しない理論なので私は賢いやつの一人称は書けない。間違いなく書けない。
無学がバレる。

それにしても 

「神の視点」とは、試練を与えること。

小説を書くための二つの視点 - にこの創作&猫日記

そうか。試練か…。
あらためて考える。
試練ってなかなか思い浮かばない。神の視点ってすごく便利だけど書くのすごく難しい。
神として試練を与えようとしたとき

AとBは幼馴染。しかし、Aは実はBのことを好いている。告白する勇気などなく、生ぬるい友人関係を続けて今に至るが。

みたいなしょぼい説明入れそうになって枕に顔をうずめて「アーーーーー」って絶叫したくなる。
なんだかそれっぽい書き方というものがなかなか作れない。そういう脳みそなんだと思う。

あらためて自分の書いたものを思い起こすと、映像にモノローグをつけるような作業をしがちだなと感じる。

まず脳内にはひとつの景色があって、それを映像に変える作業を行う。※最近はここで躓くことが多い。
映像にはちゃんと推しカプふたりや景色が映っていて、たまに会話を交えたりする。
そんな脳内映像の隙間のカットにひたすら主人公のモノローグを入れる気分で、地の文(一人称)を書く。
そのモノローグが完全にどこかの第三者になったときに「神の視点」の話が偶発的に生まれることがある…という感じではないかと思っている。
違うかもしれない。何せ私は自分をよく理解していないので。


一人称のほうがやりやすいと考える理由は薄々分かっているので、これは抗えない問題なのだと思う。植え付けられた性質みたいなもん。

 


どっちもできるに越したことないけどそんなことよりまず私は話を一個ちゃんとつくるとこからだ。
文法とかそういうんじゃなくて、アイデア段階。
どんどん後退しててぞっとする。
ありがたいアドバイスを頂いているので必死に考えてる。
推し、頼むからちゃんと動いて。脳内映像ください。