スペース寿司

とあるオタクの生活記録

もう昼です

大昔、サイゼかどこかで自称・演劇を愛する演劇青年から「●●さんの作品も観てない癖に演劇語ってんじゃねえよ」と怒鳴り散らされ罵倒されたことがあって以来、クソがぜってー見てやるもんかと思っていた劇作家の作品をようやく見た。

あのときの演劇青年への嫌悪やその他諸々の諸々が落ち着いたのと、夢をあきらめて休日とお金を無いなりに少しだけ自由に使えるようになったのと、たまたまチケット発売のメールが来ていたからである。
巡り合わせだと思ってチケットを買って見に行った。
すごくおもしろかった。
この劇作家の名前を見るたびに、鼻息を荒くして若干得意げというか、そうやって熱っぽく荒ぶることもできる俺って真面目な演劇青年、みたいな雰囲気に対して抱いたモーレツな嫌悪感を思い出して避けていた。
身勝手極まりない理由であるが、こうして私はひとつ呪いと無知から解放された。

楽しく生きたい。
突き詰めて語るのもいいが、それしか見てこないがゆえに理屈っぽくなり視野が狭くなるくらいなら、広く浅く見てIQ低く「すげー!!」と言い続けていたい。
「すげーー」「おもしろかったーー」ばっか言ってたいのである。
でもそれはやっぱり浅いのかなとも思うので、その中から好きなものを探したいとも思う。


サイゼ罵倒事件についてはもう記憶もおぼろげであるが、「●●作品は敬遠している」みたいなこと言った途端に青年がブチ切れた、と記憶している。
もともと食わず嫌いをしていた私も十分非がある。
何より私はその青年のことが嫌いだった。
青年は「骨太な」「ちゃんとした」芝居がお好きだったらしく、小劇場や.5系をよく見ていた私をそもそも見下している節があった。
そういうこともあって、相手の意見を頑として受け入れない節もあった。

そう思うとあんな青年のために●●氏の作品を意地で見てこなかった、というのもとんだとばっちりだな。損してきたなと素直に思った。
まーそんな話どうでもいい。

好きなものに熱くなれるのはいいけど、その情念の形を整えられず直接人を攻撃するような形でぶつけるのはどう考えても愚行ではないか。
それは情熱でも愛情でもなくただの逸脱行為である。

本人は情熱の迸りゆえの怒りだとか思ってるのであろうが、された側からすれば
なにこのヤバイ(キモイ)人。くらいの認識でしかない。

「この人、強い情念の持主なんだな」とは絶対思わない。
もし、された相手やそれを見てた周辺に「ふぅん、おもしれー奴」とか思ってほしいなら工夫してほしい。

 

演劇青年は役者になると息巻いていたが舞台に数本出てあっさり消えていったはずである。私よりリタイアが早かった。
私はあれより長く粘った。成功は無かったが少しだけ実績を残して去った。
そして●●作品の良さも今知った。
五十歩百歩ではあるが、そういうことにしている。

 

今日は朝4~5時に起きてKindleで短編をぶつギレ集中力で読んで、朝風呂してごはんたべて2時間ばかり眠って洗濯して今である。
二次創作いずこ。

天国旅行 (新潮文庫)


ラスト収録の「SINK」を読んだ。あとはパラ見くらいだったはず。
最初に読んだときに主人公の歪み具合がすごいなと思って、もう一回読んだ。
彼の目を通して見た親友像はどこまで正解なんだろうか。というところが気になった。

一家無理心中の生き残りの青年が主人公なのであるが、彼はずっと長らくそんな事情を踏まえてあれやこれや世話を焼いてくれている親友を内心疎ましく思っている。
あいつは自分を使って「物分かりのいい親友」を演じて陶酔したいだけであると、すごく黒い思いを抱いている。

終盤で主人公がそういった嫌悪を親友にぶちまけるシーンがある。
その際、親友が返す台詞が「言いたいことを言って満足か」なのが気になっている。
図星を突かれたとしたらきっともっと別の言葉が出るのではないかなと個人的には思っているので、もしかすると、親友は半分図星だったとしても、もう半分は本当に悲しかったんではないだろーか。
主人公も薄々、自分の判断がすべて自分の思い込みであるかもしれないというのは疑っている。
この二人、今後どうなるんだろう。
いろんなレビュー見てると、縁が切れた、と感じている人もいたりするが、私はそうは思わなかったなーというところ。
前と同じのようにはいかなくても、一年後くらいにふらっと飲みに行ったりしてそうっていうか、そうであってほしいなとは思った。

こういう話いいなーと思うし、こういう空気感を二次創作で書いてみたいというそんな身もふたもないオチ。