スペース寿司

とあるオタクの生活記録

らしょうもん

概要:あれだけ数々の日記で「Twitterなんてやらないほうがいい」「向いてない」と言っていたにも関わらず最近腐女子としてTwitterをやっている。過去の記事は遡るのが面倒なので貼らない。

少し前から始めている。理由を言うなら原作関連で少々動きがあったからつい嬉しくてである。それがよくない。
フォローされたりフォローしたりブロックされたりしている
やはりTwitterは私には難しい。

単純にテンションに交われないわけである。
日常の秒速実況とエアリプと下ネタと隙あらばドチャシコ抜けるパコりたいの世界はさながら戦場だ。
独り言なんだからいいじゃん。嫌ならスルー(ミュート)すれば?ってどこまで通用する魔法の呪文なのだろうと日々考えてしまう。


別にカチンとくるわけでもなく、元気だな…と思うだけで済んでいるが、実況するほどでもない日常を過ごし、「ドチャシコ」という単語には世代的になじみがないのもあり、それが定石となった世界はやはり私がいていい場とは思えないのだ。

もちろん私もシモネタなんていくらでも言う。しかも口が悪い。これは性根の悪さである。しかしTwitterに流す際などは、実際の自分が口に出して発声したときに違和感があるかないかをかなり気にしている。それは年齢的な意識が強い。
彼らも表立って言えないことを敢えてTwitterで言っているのだろうけど、書き言葉は割としゃべり言葉にも反映されると思うので、ドチャシコ族はきっと飲み会の個室とかでドチャシコいって絶叫するんだと思ってる。それはできるのも許されるのも若さの証であり、そこに世代の違う自分が混じっていくのはある意味マナー違反にも思えてくる。

年齢の壁、結構大きい。その世代とリアルで話す場も最近はなく、どちらかというと同年代と過ごすことが多いのもあり、気づかないうちにそうなっているんだと思う。
所謂「おじさんおばさん構文」みたいなのがよくネタにされるが、私だっていつああなるかわからないのだと自覚させられる。半年ROMってろで育てられたインターネット黎明期のオタクだって、そういう末路が待っている可能性、あるんだよ。

つまりあの界隈のTwitterにおいてはもう時代遅れなのだ。私の存在が。

だから自分の発言を気にする。
自カプの解釈を語ったりどうしようもないシモネタのカプ妄想だったり好きな作品についてを話すことが多いが、これが地雷だったらしくウザがられてブロックされた気配があるのでもはや何を言えばいいのかと思う。そもそも相手はほぼ逆カプの人間だった。フォローされたとき「マジでいいんか?」って疑問だったんだよ。
周囲は誰彼構わず言いたいことを言ってつながりあえているのに、なるべく気を遣っていた私だけ輪を外れておかしなことを言っているような気がしてくる。

 

だがしかしである。


かつてリアルの世界で1年いた現場で「スペース寿司さん、一年通しての印象が『いい人』ではあるけどそれ以外で説明するってなると難しいからインパクト薄いんだと思う」と言われてしまって、こりゃいかんなと思ったことがあった。
その前に所属していた場でやらかしてハチャメチャにえらい人に嫌われて人間関係に疲れた結果、下手なことは言わず黙って笑顔で過ごそうと思った結果だったので、両極端なものを残してしまった。

それならもう好きなこと言ってたほうがいいんじゃないのか。
それで自分に色がついて「そういう人」だと認識されるなら。
好き嫌いはさておいて。


と考えることもできるのである。どうせ選ぶ権利は相手にしかないんだから。

なるべくそういう意味で、悔いのないように言いたいことを言うようにしている。
さすがにドチャシコとか言わないけど解釈も感想も書くし連投もする。
エアリプでも相手にされないし、そういうことなんだと思う。
ブロックされたらそこまでだよ。今まですまんかったな。ありがとうな。もう作品も読めないほど嫌いになられたとしたら貴重なひとりを失った気持ちにもなるが。
死ねと思っているならうるせーなおめーが死ね。

Twitterは原作関連ムーブのキリがついた頃にやめる予定だ。