スペース寿司

とあるオタクの生活記録

感想ほしすぎて超こじらせてる

感想が欲しい。欲しいに決まっている。
アップした話も本にした話もやっぱり感想が欲しい。

感想が無いのが感想ってのはわかった上で言っている。

利用している投稿型SNSにおいて読んだ側が何かしらリアクションを取るとすれば、いいねボタン的なものとコメントの二つ。
これの上位互換でDMがあるがこれはあまりにも縁遠い存在なので目を伏せる。

ボタンはぶっちゃけ押してもらえることはある。押してもらえるのはありがたい。数だって実は数えている。
ただ他の投稿者につく反応の数がわからないので
「どうせ他の人はもっともらってるんだろうな…」
というどうしようもない自虐妄想とゲスの勘繰りで、最終的に嬉しさの反動で落ち込み始める。
めんどくせぇなと自分でも思う。
コメントは滅多にない。ほとんどもらえない。

ではオフラインではどうだったか。
まあ、無いよね。感想。
発行した本にはチェック式アンケートを導入して本にQRコードを付けてみたが、ダメ。全然。
ようやく少し頂けて、その感想をずっと見てるけど、しがみついてる自分がだんだんみじめになってきた。

付き合いのある方からの感想メールはあった。
最初は嬉しかった。でも、どうしても「感想」として純粋にカウントできない。
こんな褒めてもらえて、すごく嬉しいけど、無理して言わせてるんじゃないかな…って疑心暗鬼が最後に残るのである。
ちなみに送ってきてくれた方の作品は私の書いたものなんかより何もかもよっぽど断然素晴らしい。
もちろん私は感想を送っている。
結果、とても美しいお礼の返信をもらって、感想時の自分の文章の頭の悪さを省みて、自己嫌悪に拍車がかかった。

こんな状態で、私、本当に、誰に何を言われたら救われるんだろう。

ちなみにこんなこと言ってると
「あなたの好きな神()から褒められればいいんでしょ」
という意見が出そう(実際そういうのを見かけた)なのだが、私はかつてTwitterで神に
「あなたの作品見てます。本楽しみです」
とリプされて
「騙されるな社交辞令だ。信じるな」
となってしまった人間なので、きっとどんなに好きな人から何を言われても、まず疑ってかかるんだと思います。
こんな人間だからTwitter辞めてよかったよ。正解。

Twitterでよくある「いいねしてくれた人を褒めます」みたいなやつにも参加できなかった。ひねくれてて。
でも一度は参加してみたら変わったんだろうか。

そんなこと私が言ってる間にも神は
「新刊への感想ありがとうございます…!次の作品への励みになります!」
「たくさんメッセージいただけて…!返信遅くなりますがお待ちください!」
とか言ってる。
そう。眩しいところに人は集まる。いいものをみんな読みたい。そんなの私も同じだ。

結局、私の話は萌えなかったんだ。そのようなものしか私は生み出してないんだ。
私の書くものは誰も楽しみになんかしてなくて、ほしいときにたまたま通りすがった回転寿司的なものなんだ。
寿司に失礼なくらいだ。
冷静に見ていればわかる。ストーリーも文字量も発想も数字シーンも格段にあっちのが上だ。
あれの前に私の文章なんてただのゴミになってしまうのは当たり前だ。

いや違う。私が書きたいから。あいつらが好きだから。あいつらのあれこれが見たいから書くんだがんばれ…!!!と自分で自分を励ます毎日。

どこがよかったとか、このワンシーンがよかったとか、あそこだけ笑えたとか、推しが尊くなったとか、それだけでも嬉しいんだけどな。
それも生み出せなかったのか。
文章ってどうしたらうまくなるんだろう。

世のリサーチ結果を見ていると感想をもらえる率って頒布数の0.1%?らしい。
どんな大手でも、そうなってしまう界隈もあるらしい。
でもたぶん、ここの界隈は賑わうところは賑わってる。
いろんな要素があるんだろう、と踏まえても、私の場合はどう考えても力量不足ゆえ、コミュニケーション不足ゆえの感想ナシなんだろうな。

ていうか自分で自分をもっと許せるようになりたい。
感想くれた人だって、本心かもしれないじゃん。
落ち込むことばかりじゃなかったはずじゃん。
自家中毒で病んでるくせに失礼なことしてんじゃないよ。せめて素直に受け取ろうよ。
歪みすぎだわ。